WORKS

なんとなく気になった時は、ぜひ立ち止まることをオススメします。

そこに表面の自我が理解しやすいようなヒントとの出会いがすでに起きている、その確率が非常に高い!からです。

あとはそれはどれだか気が付くだけだよ!

という風景の中に居るっていうことが本当はとても多いのです。ほんのちょっとしたことで大切なギフトに気が付かなくて通り過ぎているってことが毎日起きてるのだっていうことが、実は本当のことです。

「私にも何か天使やガイドからお知らせこないかなぁー」

と思ったことのある方も少なくないと思うのですが、実はもうすでにお知らせは来ています。そのささやきはもうすぐそこにすでに「ある」のです。どなたにも、です。


それを聴きたい、受け取りたいという人は、練習を始めませんか?

例えば本屋さんをうろついてみて、ゆっくりと本の置いてあるある棚の方を意識しながら歩きましょう。

「ん?」っていう感じが来た時にはまず立ち止まってみましょう。

なんだかわからないけど「ん?」っていう感じです。何か「色」や「文字」、「デザイン」などが気になってなのかもしれないなと思うかもしれませんが、それでOKです。


今度はその棚に近づいて、その前に立ちましょう。

「さて、私はどれが気になって立ち止まったの?」と心の中でコトバにして尋ねましょう。

するとどれかが何かがすでに視界に入っているはずなのです。無自覚に「とあるそれ」はもう自分の視界の中に一度入っていて、さらに視点が忙しく移っていろいろを探すように見始める自分がいることに気が付くかもしれません。

慣れてくると迷うことが少なくなります。あ、これだな!って感じることが増えて来るでしょう。


どんな本でも大丈夫です。その一冊を手に取って、ぱらぱらとしてみましょう。

で、指を止めます。

なんとなくここって感じたそこでOKです。

とあるページで止めてみましょう。


自分の身体を通してわざわざ「ストップ」させたそのページには、意味があるということを知りましょう。

そこには、今のあなたが出会うべき「大切なキーワード」や「お話」が必ず書かれています。それは偶然ではありません。偶然のようではありますが、自分が「求めて&得る」と決断して起こした行動には答えが返ってきます。

そこには、時々において上の階層の大いなる自分からのお手紙だったり、ガイドからのお手紙だったりするでしょう。

しかし、これは奇跡ではありませんし超能力的なものでもありません。

よって特別な能力というものは全く必要がありません。

一見そうとも言える、見えるものではありますが、実際には、意思を発揮した結果が、そこに必然としてあるということなのです。これは「仕組み」です。


そのページのとある部分にあるこれかもと思える「キーワード」や「お話」をはっきりとこれだ!と選びましょう。今の自分にぴったりだとか、今の自分に必要な言葉だ!とか、必ず拾うようにしてみましょう。

最初は受け取ることに慣れていないところから始まりますから、ちょっと自信ない感じとか間違っているかもなんて思うこともあるでしょう。

よくあるのは「気のせいなんじゃない?」って思ってしまうことです。

ああ、それはすぐそこに宝物があるのに起こしてしまうニアミスっていうものです。ですが、よく私たちが日常で起こしていることです。


さて、仕組みであるならば、使わない手はない。と思っていただくといいでしょう。実際本当にそうなのです。「求めて&得る」ということを決めてしまうということは「あなたの意思」を設定したということです。「求めて出会いに行く」という意思でもありますし、それは「すでに在るはずのヒントや答えを必ず受け取る」という意思です。

私たちは、経験による自分の思い込みが、実際の行動の元になっているものなので、その事実を客観的に受け止めるということをしていくと、諸々たくさんの信じてしまっていることを変えていくということが可能になる存在です。

「求めて&得る」ということがまだ自分の中でもし当たり前になっていないのだとしたら、ぜひこの「仕組み」を使って答えを受け取りながら日常を歩いていくことを選んでください。そうしよう、そうすることにしたよ、と決めることが、自分自身への合図です。


そもそも自分の意思を発揮するということは重要なことではあるのですが、そうだと思っていない場合や場面も私たちにはたくさんあります。なんとなくやり過ごすということが習慣化してしまっているのです。これはとんでもなくもったいないことをたくさんしているのだと気が付きましょう。


偶然通り過ぎた花屋に気になる花の姿を見た自分に気が付いていれば、用事を終わらせた後にその花屋に戻ってその花を買うでしょう。色や匂いや花言葉かもしれませんし、店員さんの会話ややり取りなのかもしれません。たまたま居た他のお客さんかもしれないし、その店に居たからこそ知り得たものがあるのかもしれません。その立ち寄っていた時間があったからこそ帰り道に何かあるのかもしれません。

自分がどこに何を発見するでしょうか? 

楽しんでください、その瞬間に起きている出会いを。


受け取ると決めてしまったなら、必ずそれは訪れます。遠慮なく受け取りましょう。それを栄養にして次のステップへと進んでいきましょう。悩んでいたことのヒントや答えのようなものを受け取った後は、実際の行動を起こすことへと繋いでいきましょう。その実際がどんなに小さくても大丈夫です。

これは誰かに報告することではありませんから安心してください。確かに自分が「動いた」ということを実感し、信じられたならOKなのです。


自分の発揮する「意思」というものは重要なのだ、すべてを変え得るものなのだ、ということをあらためて知っていただくといいでしょう。












暑い日が時々増えてきました。となると夏の食材が食卓には増えます。

塩少々にオリーブオイル少々で出来あがり。これがスッと食卓に黙って出されることのありがたさ。

自分では確実にそのようにはいかないだろうという予想が簡単にできます。仕事をしているか考え事をしているか、寝ている以外の時間が一日中そればかり、それが日常の私は一般的な普通の生活の類のことがかなり下手なのです。

助手で修行中のYが用意して出してくれます。その時々の旬のものが目の前にスッと現れる。どこどこ産のどなたが作られたものだとか、同じトマトでもずいぶんと味や香りも違うもので。塩やオリーブオイルも同じ。切り方も並べ方も時々において違っています。なんらかの理由があるようです。

そういうところに自分なりのこだわりがあるのがYで。Yは、占星術の生まれた時の図であるホロスコープを見ると牡牛座というところに天体が二つ入っています。牡牛座は、五感を表しているし、素材にこだわる人も多い。さらに何度も繰り返して習得していくとか、物事にじっくり取り組む資質があることを意味してもいます。聞けばYには、料理の師匠としている方もいるらしく、道具の触り方とか細かな所作の美しさに惹かれるのだとか。牡牛座らしい発言です。

私の出生図には牡牛座に天体はありません。天体は無くとも、牡羊座から始まる魚座までの12星座(サイン)のすべてを私たちは最初から内在させていますから、興味を持つと手に入りやすくなります。他者や環境という外に、例えば牡牛座という資質を発見したり、小さくは過去の自分自身のことからも再発見したり、そうやって知って学んでいくことも可能です。


その日のトマトは少しある酸味が爽やかで。雨を含んだ雲が降りてきて身体が重たいなって感じる時にぴったりでした。

ひとりでは起こせないこと。なかなかに無いことが、当たり前のように日常にある、その有難さ。

夕方、買い物袋の端からちらりと見えたのは、ミョウガでした。さて、これはどういう形になっていつ目の前に現れるのだろう? いつの間にか次の出会いが楽しみになっているようです。

まだ自分がわかっていないこと、知らないことを探しに行くのって、旅をするのと似ています。もちろんそれは旅といってもツアーではありませんね。どちらかというと「一人旅」のようなものではないでしょうか。

目的に向かうその一人旅も、よくわからないことだらけですから、道にも迷います。心の世界の旅も、一人旅の時間が多いですね。ひとり想う、ひとり考える。

でも、わからないことだらけの道を、木々や草花、飛ぶ鳥や雲の流れに尋ね歩き、時々水辺で休んだりしながら、またとぼとぼ行く一人旅は寂しさの先にどこか充実感もあって。やがて通りすがりの人たちの話している内容にハッとするような答えを見つけてしまうこともあるでしょう。静かな湖面に映し出されるものがあるようだったり、風の音や岩の影、生き物たちとの出会いや動きが何かを知らせてくれることだってあったりします。

何か受け取ることがあったなら、そんな気がしたなら、教えてもらったような気がしたなら、それは本当にそうなのです。誰にもどこにも遠慮することなく「気付かせてくれてありがとう」って言っていいのです。声に出したり、心の中で呟いたりして。

そうして、あれもこれもみんな繋がっているんだなって。そんなことをあらためて感じながら、この世界の旅は続いていきます。

どなたもがいつだってたくさんの出会いと気付きに満ちた旅の可能性を手にしながらいます。忘れていたなら思い出していきましょう。思い立ったときから、様々な自分と出会っていく旅は始まっています。

どうぞよい旅を。






現在は「立体 Life Simbol (ライフシンボル)」という制作系講座はお休み中です。

ほんの5gの銀粘土を素手で、指先で好きな形にしていくところからスタートします。

なんとこの講座は、けして「美しく綺麗に作り過ぎてはいけない」講座です。

子供の頃のようにのびのびルールなんか無視して作れたらいいね、という方向性です。


いったいそれって何でしょう? 

作り始めて3時間内に出来上がる純銀アクセサリー制作の講座なのですが、立体ライフシンボルは「絵画療法」というところから生まれたものなので、自分の中に内在している自分の本当の感情との出会いを起こしていくためのものなのです。ということでどういうものなのか、少しだけご紹介します。

ライフシンボル(絵画療法)の立体版、それが立体ライフシンボルです。

立体ライフシンボルでは、アートクレイの製造・販売元である相田化学工業株式会社の「アートクレイシルバー」のみを使用しています。2007年の9月に第1回立体ライフシンボル講座を横須賀市で開催しましたが、その時からずっとアートクレイシルバーを使っています。

潜在的な自分の声を形や色彩として見ることで自分の声を聴き、本当の自分自身に出会うことで能動的に開運していくことを目的としています。

本当の自分自身に出会うための開運シルバーアクセサリー作り。この講座はお子様から大人の方まで、どなたにもご参加いただけるものです。技術や知識は必要ありません。手作りのものは苦手という方にも作っていただける素材を使います。


「不器用なんです、恥ずかしい」

そう言われる方の作品がイキイキしていることはとても多いです。

「上手じゃないんですこういうの。下手なんです。ダメです。」

そう言われる方もたくさんいらっしゃいます。何度「この講座は上手に作っちゃいけないのですよ」と声をおかけしてもそう口からこぼれてきます。

日常的に綺麗であること、整えること、ちゃんとしていることということが、それだけしっかりと根付いているということでしょう。

しかしこの講座では、常識的に綺麗に作るということからわざとどんどん離れて、粘土のかたまりで遊んでみる。そんなところから始まります。最初はちゃんとしてしまう方も何回か作っているうちに、やがてはみ出すことを思い出していきます。静かに作っていた方もだんだんと「うぉっ」「ひゃっ」「えぃやぁっ」という風に言葉にならない声を元気に出し始めたりします。


アートクレイシルバー(銀粘土)を使って自分で世界に一つだけの純銀アクセサリー作り。銀粘土を乾燥させて専用窯で焼成すると、純銀アクセサリーが完成します。磨きをかけて、作品を参加者の皆さんで味わって、帰るときにはほとんどの方が身に着けて帰られます。

自分自身と出会うひとつの方法として、奥底の本心と出会う機会として、さらに今の自分の願いを叶えていくことにも向かっていきます。あなたが今叶えたいことはなんでしょう? 




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【立体ライフシンボル】シルバー・お面・粘土造形などの立体作品

「ライフシンボル」とは、

占星術や神秘学の研究家である松村潔氏の40年以上(2020年現在)にわたる研究によって生み出された絵画療法です。例えば一枚の紙にクレヨンで好きなように描いた絵から心理を読み解き、本当の自分自身を知っていくというメソッドです。占星術、象徴分析、色彩、神秘哲学、心理学など読むためのツールは多岐に渡り、この理論から立体である「形」に落とすことで三次元化したものが立体ライフシンボルになります。

例えば、アートクレイシルバーを使って純銀の作品を制作し身につける。自身が制作した作品を見て、あるいは身につけることによって、作品が持つ意味が実際に生活の中に落とされ、動きが加わり変化に加速度がつき始めます。自身の根本的な部分からを能動的に変えて開運していこうとするものです。言わば体質改善。また9つの区画に分けられたスペースに好みの色彩を並べて心理を読む「カラーライフシンボル」もあります。09年に新たに生まれたのはお面作りです。自分のガイドと出会い、粘土で作り上げていく自分だけのお面講座も松村氏のもとで展開。

「あなたのライフシンボル」という講座

例えばアクセサリーを制作するという行為そのものが、まず自分の内面感情を外に向かって表現するということになります。自分自身の現在の感情を「外に見る」ということで自身の中に視覚的なところから再認識され始めます。絵や形は記号化されたものであり感情にダイレクトに働きかけるため、思考を通過せずに内面へと影響は染み渡ります。

このアートクレイシルバーで作る作品は、立体であり三次元に落とされます。例えば絵で表現するライフシンボルは平面になりますが、これは感情面などへの影響が強くなり、立体になると「動き」が加わって実生活での変化が表れやすくなるでしょう。また、触れる、常に身に付けたり持ち歩けるということが特徴です。

立体ライフシンボルの1回目はあなたにとっての始まりです。願いがある方は達成に向かってのスタートです。特に目的が無いという方も、自分の基本的な行動パターンの再確認、及び変革へとつながるでしょう。





目に見えない世界のことを学んでいるという時に、今自分はどこにいるのか、複数の人の中で自分はどのあたりにいるのか、それが気になってしまって、ついつい外の人を見て確認しようとする場合があります。隣の人を見たところで判別も出来ないため、先生とか先輩など自分よりも詳しいであろう上位の存在に、自分のいる場所を確認しようとしたりということもあります。それは自分の価値を知りたいという欲求でもあるでしょう。

それらはみんな、横の世界に縛られている自分自身かもしれないよ、と尋ねてみましょう。横の世界って、この社会、この陰と陽の見える世界のことです。その中にいて自分はどのあたりなのだろうって考えてしまうのは、優劣においての問題点がまだ自分の中にあって卒業はしていないねということ。

自分と自分の関係を取り戻していく、思い出していくということは、自分の体の中心にある上下の縦の柱の世界です。それは見える世界の自分から見えない世界の自分にまでまっすぐに繋がっている中心、センターのお話です。

とは言え、気になることを無理して手離せという話ではなく、一つずつをより自覚していくことの方が重要です。自分がまだそこに興味があるということを発見しましょう。起きている現実を受け入れていく過程には、最初は抵抗があるかもしれませんが、少しずつ新しいものの見方に慣れていくでしょう。社会の物差しが気になっていても人の目が気になっていても、それ自体が「よくないこと」ということでは無いのです。自分の一部を「ダメなんだ」って否定することから、どんどん「あぁ、あるんだね」っていう存在をただただ「ある」として認めていくことを始めましょう。

興味があることを否定していると、それにずうっと付きまとわれるみたいな現象が起こります。否定しながらそのことばかり視界に入れて文句ばかり言ってるとか、自分でも無自覚にやっている場合も少なくありません。


それで結局一体どうしたらこの自分を変えられますか? と気になる場合には、まずは、呼吸とか瞑想の練習をしていくといいでしょう。ひとりの時間、ひとりでの練習です。私はよく言うのですが、たった1分でいいので静けさの中に身を置いてゆっくりと呼吸を重ねてくださいと。ゆっくりと吐いてゆっくりと吸う呼吸の中で、自動的に手離していいものは吐く度に離れていくし、新鮮なエネルギーは吸う度に入って全身に行き渡っていく。そのイメージを描きながら呼吸を重ねていきます。描くのもだんだん上手になっていきます。

1分なら出来るような気がしてきませんか? 気になった場合にはまずは実践あるのみです。


その1分、実は魔法のような時間なのだということを知るのは、後々になってからのことでしょう。






「ふとそう思ったので、いつもになくそう思ったので、でもそれは強烈に感じたことなんかじゃなくて。でも採用してみようかなって、そう思ったから口に出してみたんです」

彼女はそう言いながら、その時のことを思い出すように斜め上を見上げながら話し始めました。

「初めての家庭菜園をしたいと思って」

実家でゴーヤを育てていたことがあるのを思いだした彼女は、電話で家族にそれを伝えたのです。詳しい人に相談した方がいいかなと思って、電話をしてみたのでした。

数日後、オクラとパセリが植えられたプランターを実家の家族から彼女は受け取ります。そんな風に用意されているとは想像していなかった彼女は、受け取った瞬間に「とってもがっかり」しちゃってる自分に気が付いてしまいました。なぜかそのままさらに気持ちが落ちていった…、そんな自分を発見していました。

翌日、しおれて元気が無くなってしまっているプランターの葉を見て、「ああ、またダメだ」と感じ、どうしていいかも思い浮かばないし、やる気も失せていきます。そんな時、たまたまブログで菜園チャレンジしている人の記事を見て、多くの失敗と、何度にも渡る挑戦でうまく育ったというような体験にハッとさせられました。

彼女がしたかったことが「それ」ではなかったということに気が付いたのです。もちろん自分で気が付いてもいなかったから、まだそれを家族に伝えてはいません。

彼女は、ゆっくりと言葉を選んで言いました。「植物や野菜を育てるということについて何も知らないから、何がわかっていないのかもわからない自分だから…本当にゼロから教えて欲しいと思っていたと。今までそうしたことなんてまるで一度も無かったけど、一緒にどれがいいかねって言いながらホームセンターで苗を見たりプランターや土を見て歩きながらたくさん教えてもらいたいって思ってるんだなって。」

「今から電話します」

「何に対してダメだと思っていたのか、勘違いしていたことがわかりました」

そう言う彼女には笑顔が戻っていました。


土の力に支えられ太陽の光を浴びて、黄緑の新芽はやがて育って緑色へと色を濃くしていくでしょう。

シンプルで規則的な日常生活を続けることは、生活や健康の基礎的な部分を強くしていってくれます。今は無理して多くを自分に求めることなく、規則的な繰り返しの日常の中で自然と自分の中に力が満ちてくるのを待ちましょう。

観葉植物など植物の生命力の力を借りて、緑色をそばに置くのも助けになります。

心身ともにエネルギー補給を。







今日も渋谷のとあるプライベートサロンにて、

9分割の理論を軸とした感情解放や意識の開発のワークをしています。



本日はZoomでオンラインでのワークでした。22枚の連続パスワーク挑戦中です。3~4週間ごとに1枚ずつを進めていきます。

パスワークって何よ?って思われる方もいらっしゃるかと思うので、それはまた後日記事を用意させていただこうと思います。

ひとまずずい分ざっくりとですが、簡単にお話しすると、鍼を打つことで解放したり活性化させていくということを身体にするのと同じように、エネルギーの身体、意識の身体という見えないけれどあるもう一つの気の身体を解放したり活性化していくことであらゆる可能性を開いていこう、というものです。より客観的に自分のことや人生を自分自身で捉えることが上達していきます。もちろん願いを叶えていくということがどういうことなのかを知って実践していくことが可能になります。


パスとは径(みち)のことです。とある駅からとある駅までの間にある一本の道のようなものだと想像してください。その道には名前がついていて、例えば「女帝」という道には女帝の物語が存在しています。瞑想でその道を旅することでそのとある女帝の物語を体験するという感じです。瞑想の後には、見てきたものを自分のものとしてどう受け取っていくか、象徴解釈という練習もしていきます。

今日は0~21と22本あるパスの中で「17・星」のパスに入って瞑想していく予定ではありましたが、ここ一か月を振り返って体験談をお話してもらっている中で、「13・死に神」と「16・塔」の話が出てきたので、今一度思い出そうということでそれぞれのパスについてお話ししました。

自分にとって本当に必要なものだけを残して整理整頓していくのが「13・死に神」です。

これは部屋掃除とか人間関係の整理などにも反映されやすいので。このパスが得意か苦手なのかはすぐに自分でもわかってしまうものです。

どんなパスも、苦手だなと思ったパスは、強化していくことが可能です。

自分の日常にある問題点の理解へと繋がっていく発見をしたり、改善していきたい部分にフォーカスしてエネルギーの活性化をしていくということもできます。


私のところでは、パスワークと日常をセットして考えていただき、ひとりひとり実際は違いますが、例えば3~4週間ごとに1つのパスワークを進めていきます。そのパスの意味、物語を意識して日常を歩き、さらに体験や考えたこと、問題意識などを持って取り組んでいくという形で行っています。相談に答えるというセッションと自分で取り組むというワークの両方の側面を持っています。

多くの方が、タロットも知らない、占星術も知らない、というところからスタートしています。学生さんからアーティスト、自営、会社経営、専業主婦、ニート中の方、専門職の方、医療関係やカウンセリング、透視や霊視などをお仕事としている方など、様々な立場の方がパスワークをご自身の日常に活かしていらっしゃいます。

パスワークは、自分のことをよくよく見る、受け入れる、改善していく、解放する、自分で考えて生きていけるように自分を育てる、自分を思い出す、というようなワークなので、非現実的とか夢の世界を歩くというのとは違って、とても現実的なものだと思っています。







通りがかりにふと気になって立ち止まり、一枚いただきました。

28度を超える暑さの中で思いっきり外に向かって咲いていたオレンジ色。

熱中する対象かチームのような集団なのか、自分にとって一番気になる存在との交流を望んでいるよ、というのがオレンジ色です。

赤色に黄色が入っている色ですが、その分量によって赤寄りのオレンジだったり黄色寄りのオレンジ色だったりします。赤が強いほど狭い範囲に集中する思いが強くなり、近寄りたい対象は一人、個人になりやすいでしょう。黄色の配合が多くなるほどより外向きの広い範囲への欲求になります。スポーツや同好会的な集まりのイメージカラーになったりユニフォームの色になったりしやすいでしょう。


とある日、出会ったYさんは、40代です。今現在も実のお母さんを許せずにいる状態の方です。ご本人にも恨んでいるという自覚もありませんでした。ただただ、この社会の中で出会う人に片っ端から、自分の面倒をとことん見させようとして相手を困らせていくという特徴が出ていて、ご本人も生きにくさを感じていらっしゃいます。

どうしても誰か目の前に現れるその時のその人に全部を差し出せと求めてしまうという症状があって、結果的に与えてくれないという現実に不快感、失望、落胆、そして怒り、さらにまた目の前に現れる人に即座に期待しては破れるという、そんな連続の日々を生きてこられたようです。

例えば、人の後を付いて歩くようなところがある割には、近付いたその人を馬鹿にしたり、さらに気心が知れてより近寄くなると今度はその人に対してまるで真逆の横暴さも発揮してしまいます。

そのようなことにも答えはあります。原因もあります。そんなつもりなど無いと言い張って、あるいはそんな自分なんですがどうしたらいいのかわからないんですと言いながら、どうにかして今のまま欲しがり続けている自分をやり通すというのではなく、必要なのはこれは事実であるという自覚です。

まず、立ち止まりましょう。見て見ぬふりをし続けるのではなく、いつか何とかなるかもしれないとうやむやにして逃亡するのではなく、自分を見つめていく練習をし始めましょう。

気になった時がチャンスです。

自分で自分のことを小さく実践しましょう。一日の計画を立てて実行しましょう。気分だけで生活し続けることを変えていくことからが必要です。

セラピーとして、例えば画用紙一面をオレンジ色で塗りたくってみるのもありです。もちろんその日現場において違う色を塗りたくなったならそれを採用してください。この場合には専門家の方に助けてもらって挑戦することをおすすめします。

時々は見上げて、大きな空の青を視界に入れて深呼吸しましょう。べったりと張り付くような依存性の強い状態を緩和してくれるでしょう。青色を持ち物や服などに取り入れてみましょう。

本当に必要だと思った時には、様々な専門家の力を借りることも可能です。その一つとしては、例えば初級の占星術の学びが役に立つと思います。自分のことを客観的に見るという立ち位置や姿勢の練習になるでしょう。本来の占星術は、本性の自分自身と出会っていくためのものであって、まったく当て物ではありません。










その人は庭に花を咲かせています。

直接見たことは無いのだけれど、話にもずいぶん前から聞いていたのです。

不思議とよく育つんだっていう話を聞いたことを覚えています。

土に向かって、花に向かっている時に、

その女性は一番その人らしいのだろうなと思います。

うっかり社会においてできる人をやってのけようとした時に頑張り過ぎてしまって、

土に向かう時間が減ってしまう。そうすると少しずつ元気が無くなってしまったりして。

突然身体が「おーい、無理だよ」「おーい、嫌なんだよ」って言い始めて、

あちらこちら痛みが出てきたりすることもあるのです。


重要なのは、社会に出会いがあるって思い込んでいることかもしれません。

だから自分に無理をさせ過ぎてしまう。

でもどこか違っていてうまくいかない気持ちになってしまう。

そのうち自分を責めたり、自分の頑張りが足りないからだからもっと頑張らないと、

と過剰に背負い込んだりして、辛くなってしまったり。

確かに出会いはそこにはあるけれど、

自分が本当に欲しがっている「出会い」というのとはまたちょっと違うものなのかもしれないって考えてみましょう。

そこに気が付けたなら、次のステップです。


さて、自分が本当に欲している「出会い」とはいったい何処にあるのでしょう? 

「何処にあるの?」まずはそのように自分の中に「問い」を持つこと、そこからです。

自分が欲しい「出会い」には自分が欲しい「関係性」のカタチが存在しています。

その胸の奥に「あっていいよ」「欲しがっていいよ」って言われることを待っている、

本当の自分の声が、扉が開くのを静かに待っているでしょう。





何になりたいかっていう目的、目標と、実際の行動と。

それを表しているのは、太陽と月です。(占星術的に見ると)

それはまた、生命の樹のタロットパスワークというところから見ると、

14・節制のパスです。

これは生命の樹の中央の柱である太陽(ティファレト)と月(イエソド)との間にある

パスです。これは「太陽である目的」と「月という実際行動」ということです。

小さな目標を持って実行して結果へと向かうというワンセットを身に付けていくことで、

さらに少し大きな目標に向かうことが出来る自分、

という存在を自分の中に生みだしていくことができる自分になっていきます。

最初の一歩は小さく、ということを受け入れましょう。


たくさん知っていくと、願いとして叶わないことはない、叶わない理由も無い、

ということを言い出したりすることもあります。

実際にそういうことを教えているパスが存在していますし、学習していくことが可能です。

どういう意味でそう言っているのか、ひとつずつ理解していくことが大切です。


私ははじめの頃、それを聞いて、とても嬉しかったのを覚えています。





とある方の体験です。

送られてきたいくつかの写真は身近な存在の家族の風景でした。

それは幼い子から大人まで、家族全員で一緒に今を乗り越えていこうとする日常の仕事風景。

大変だろうという中で笑っている生き生きとした風景でした。

それを見た彼女は、自分の子供にはこういうことをしてやれなかったな…、

してやれたらよかったのだろうけども…、出来なかったな、思いもつかなかったな、

と思ったのだそうです。

我が子のことを不憫に思う、母親としての自分がこういう感じだから…、

出来ていないから…、と話されました。

そしてそう考えた直後に自分の中でもやもやっとしたものが残るのだと。

それが何なのか、自分が出来ないからスッキリしないままなのかと…続けられました。



さて、そのお話の後に、いくつかの工程を経て、

その外に見た家族の中の幼い子供の状態になっていただきました。

味わってもらったのです。そこには作業の中にある遊びのような楽しさや、

お互いの存在を認知している安心感、喜びなどがいっぱいいっぱいありました。

始めて感じた感触だったそうです。これまでの長い人生の中で。

自分が考えもせずただただ楽しいって思えることがあるだなんて、と。


彼女がようやく気付いたのは、

親として自分の子供に与えられなかったってことにこだわっているのでは無かったということです。

その家族の中に居る幼い子供に自分がなりたいって、

そう思っている自分にたどり着いたのでした。


彼女のワークはゆっくりと続いていきます。

これから自分が本当に感じていたこと、思っていたこと、

というのを少しずつ受け取っていきます。

見たことの無い風景に外で出くわす度に、

親として与える側として出来ていないと悲観し、

親であるはずの自分の言動を否定してきていたことが、

実は自分の中にある「外に見る憧れ、欲しかったもの」だったということに、

気が付きはじめてしまったのです。


ずっと幼少期からのことを思い出せず、

その理由もわからず不思議だと、おかしいですよねと、

自分のことを笑いながらあっけらかんと言っていた彼女の、

とある頃から止まってしまったままの時間が、今動き出し始めたのでしょう。